R.I.P. 江副浩正さん


リクルート

実は一次面接で、あっさり落ちた企業だ。

あの頃、他にも何社も就職活動で不採用通知をもらったのに、
なぜか、この会社の一次面接落ちだけは、ジブンのなかで納得いかなかった。(今思えば、ホントに根拠のない直感のような自信...^^;;)


そして、どこを受けたか忘れてしまったある会社の面接のあと、あの銀座8丁目(通称G8)の旧本社ビルの前を通って、「なんで、この会社、私を落としたんやろ。絶対、向いてるのに!」と、闘志がわき、気がつくと1階の電話から、人事に電話していた。
「あの、、4日前の一次面接を受けて、ダメだったみたいなんですけど、、どうしても、もう1度、御社を受けたいんです。チャンスを下さい!」と。

どのぐらい、待ったか覚えてないけど、ほどなく受話器の向こうから「分かりました。、今日の最終の17時からの1次面接で空きがあるので、受けてみてください」という人事の方の応答が。

再び、1階のフロアで面接、それから、とんとん拍子に2次、3次面接まで進み、回を追う毎に、面接の会場も上のフロアにあがり、気がつくと最終面接。

確か9階にあったフロアで重役の方と、握手を交わしていた。「よく、もう1回受けてくれましたね!」。

あのとき、ビルの窓からみら景色...土橋の銀座の交差点をはさんで広がる新橋の空の色、今も忘れられない。



創業者の江副さんは、数回エレベーターでご一緒したが、内定者時代は(この、用務員のおっちゃんみたいな人誰やろ、、?)と思うぐらい、ぜんぜん、社長さんらしくない風貌で、いつもニコニコ気がつくと、後ろに立っていた。


けれど、入社後、本当に色んな場面で、江副スピリッツの凄さを、まざまざと感じた。それは、リクルートという会社で働く人全ての血管や末端神経まで届くような、常にドクドクと生きて流れる、血液のような輝かしく、ときに禍々しいほどの熱い生命体だった。


江副さんの訃報にあたり、沢山のリクルート関係者があげている言葉。


『自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ』



入社前から、私は、この会社に引き寄せられて、この言葉通りに、一度失った機会を創りだした。

この言葉は、20代から30代の前半リクルートで働いた怒濤の時代、私の細胞の一つになり、やがて、自分のコアとなり、リクルートを離れ、香港、関西、新潟と、生きる場所、出会う人がどれだけ変わっても、自分のど真ん中に響き続けている。


江副浩正さん、
ありがとうございました。

あのとき、自分の「直感」を信じて、あなたの会社に入社できて、今も深く繋がっている素晴らしい仲間と出会えたことは、自分の人生にとって、筆舌に尽くしがたい...本当にかけがえのないものです。


心からご冥福をお祈りします。